外国から届くもの

04 23, 2017
一年のうちに数回しかなさそうな心地よい天気だったのでお昼に近所の中華料理屋でごはんを食べる。

スイスの写真家、RENÉ GROEBLI(ルネ・グローブリ)の写真集"DAS AUGE DER LIEBE"(英語だと"The Eyes of Love") 再発売の情報を目にした。名前と作品をすっかり忘れていたが、以前"RAIL MAGIC"というシリーズの写真をウェブ上で見ていたのを思い出した。

発行元はスイスの出版社STURM & DRANG。ウェブサイトをみると海外発送もしているようだったので注文してみた。スイスフランでのお買い物は初めてだ。

外国から物が届く。それはどこか特別な感じがする出来事だ。英語で書かれた宛名と送り元の名前、少し粗い手触りの封筒の質感、見慣れぬ梱包材、読めない消印の地名。封筒の中には品物とともに外国の空気が残っているような気がする。

まだ訪れたことのない遠い国から届いたという事実。封をされた場所と開封された場所の気温や湿度、匂いはどれくらい異なるのだろうか。どこのどんな人がこれを送ってくれたのだろうか。届いた荷物を見ているとそんなことを考えてしまう。

そういえば90年代の終わり頃、スウェーデンのワークウェアを作る会社にカタログを送ってもらったことがある。多分雑誌か何かで北欧の作業着が紹介されていたのを見たのだと思う。カラフルな色がかっこいいなーと思い、カタログを送ってもらえませんか?と連絡をしてみた。メールだったような気もするが、FAXで住所を送ったような気もする。

いずれにせよその会社、”FRISTADS”は遠く離れた極東の島のどこの誰かもわからない個人にカタログを無料で送ってきてくれた。まさか送ってくれるとは思わなかったのでとても嬉しかった。カタログの表紙はモノクロームの写真で、厚い雲に覆われた空の下、作業着を着た男性が一人湖を眺めながら道を歩いているものだった。日本と随分違うその風景は印象に残り、北欧という地域のイメージをぼくの中に作った。

もちろんカタログは今も本棚に残っている。今見てもこの写真の雰囲気は好きだ。ぼくはある日突然モノクロームの写真を好きになったのではない。モノクロームを好きになるきっかけがいろいろなところで少しずつ自身の中に積み重なっていったのだ。このカタログは間違いなくその積み重ねの一部になっている。

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あいまいさの中に身を置く

04 18, 2017
冬服やカーペットを片付ける。暑くもなく寒くもない、過ごしやすい気候。

部屋の片付けをしながら日曜美術館をなんとなく見ていた。ふと聞こえてきた解説が耳に留まった。話していたのはロボット工学者の石黒浩教授。16世紀のイタリアの画家、ティツィアーノが描いた肖像画の眼について解説をしていた。

「はっきりした感情ではなく、中途半端でニュートラルな感情を眼で表現している。見る人が戸惑い、いろいろ想像する。それが人を立体的に表現する手法になっている」

「静止画を動かすには、あいまいな表現を随所に入れる。揺れる解釈の中にずっといると、動いているように見えるから」

人間の姿に極めてよく似たアンドロイドを製作している石黒氏ならではの視点はとても興味深く、また解説も理路整然としていてわかりやすかった。ティツィアーノより石黒氏に興味が湧いてしまいそうだ。

思えば自分が好む作品というのはこの「ニュートラル」「あいまい」という仕掛けが施されたものが多いのかもしれない。

先日銀座に行ったとき、資生堂ギャラリーで内藤礼の「カラービギニング」という作品を見た。白いキャンバスにかすかなアクリル絵の具で彩色が施されていて、ぱっと見ても周囲の白い壁とほぼ同じ色に見えるような作品。でもその絵の前に座ってしばらく眺めていると、かすかな色が認識できるようになってじわりじわりと色が見え始める。その見ている間は、描かれたものを意識的に見ようとしているというよりは、何か別のことを考えているような気がした。「ニュートラル」で「あいまいな表現」はそういう体験を与えてくれるように思う。

ある状況を説明したり、こういうことが起きていますよ、こういう思考実験ですよというようなことを上手に説明している作品は「そんなことが…!」という驚きや自分の知らなかった出来事を知る楽しさはあるけど、驚きや情報が強すぎると自分であれこれ考えることができなくなる。そして「ああすごかった」「強烈だったぜ」という感想で終わってしまう。

喜びや悲しみといった感情は自分には強すぎる。平常時の静けさやあいまいさの中に身を置くことは自分にとって大切なことだ。即効性はなくとも、あとからじわじわ効いてくるようなものに近頃特に惹かれている。
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絵をスキャンする

03 14, 2017
街のところどころで沈丁花の香りがする。

画伯の昔の絵をデータにすることになった。用途はウェブ用。原寸より絵を小さくして使用する。

我が家にはエプソンのA4サイズまでできるスキャナーがある。小さい絵であればスキャンすればいいのだが、困ったのは大きい絵だ。画伯は旅行中「F4」という大きさのスケッチブックに絵を描いている。これはB4より少し小さいサイズで、A4のスキャナーでは収まらない。

ではどうデータかすべきか。厳かな雰囲気の中、会議室(居間)で対策会議が2名により開かれた。その結果でてきた対策案は以下のとおり。

・A3スキャナーを持っている人に借りる
・コンビニの複合機でスキャンする
・複写する
・外注する

それなりの量をデータ化しなければならないこと、スキャンデータから複製画や印刷物を作るといったことではないのでそこまでの厳密さは求められないこと、外に絵を持ち出す手間とリスクは避けたいこと、複写の用意は面倒だといった意見が活発に飛び交い、いかにして楽をするかを検討した結果、ある程度効率を重視しつつ、自宅で作業できる方法を探るのがベストだという結論に達した。外注は仕事のときは使うがコストがかかるので今回は見送られた。

決定的な対策が出ないまま、時間だけが過ぎていった。しびれを切らした画伯は、「あとは君に一任する」と背中で語りながら会議室(居間)をあとにした。残された1名はとりあえず分割してスキャンして、フォトショップで合成してみませんか?という自分から出された意見に静かに頷き、作業に取り掛かることにした。

何はともあれスキャン開始だ。まずは色の確認から始める。絵とともにグレーカード(使ったのはこれ)をいっしょにプレビューし、グレーバランスを調整してから本番スキャンをするとうまく色が再現された。

色が整ったのを確認し、全体をスキャン。続いて切れてしまう部分を別途スキャンする。2~3枚の画像をフォトショップで開いて、マスクを使いながらくっつけてみる。しかしぼくのフォトショップの腕ではつなぎ目の部分がどうしても不自然になってしまう。それなりに時間を使って細かく作業してたのになんだよこれ、という出来だ。なかなかピチッとくっついてくれずもどかしい。それにこれを一枚一枚やっていたらいくら時間があっても足りない。やってらんない。

何か方法はないかなと調べていたら、Photoshopのパノラマ合成の機能に行き当たった。その名を「Photomerge(フォトマージ)」という。辞書によると”merge”は「併合する」とか「溶け合う」とかそんな意味だった。今まで使ったことがない機能だ。しかしこれが予想外の成果をあげた。

作業の手順はこんな感じ。
・フォトショップを開く
・「ファイル」>「自動処理」>「Photomerge」を選択する
・「ソースファイル」のところにある「参照」から合成する画像を選ぶ
・「OK」をクリックする
・勝手に合成されてできあがり

画面に画像が表示され、パソコンの内部で何か作業をしている。次の瞬間合成された画像がモニタにパッと現れた。その間多分10秒くらい。合成はあっという間に終わった。最初に合成が完了した時、「うわぁ」と声が出て椅子から立ち上がってしまった。

レイヤーのタブを見てみると指定した画像にマスクがかけられ、つなぎ目をうまく繋いでくれていた。この細いマスクの作業にさっきまで四苦八苦していたのに…。一体このアプリケーションの中はどうなっているのだろう?なんでこんなに繋ぎ目が自然になるのだろう?どういう計算が行われているんだろう?これを作った人は一体どんな頭脳を持った人なんだろう?驚きのあまりたくさんの疑問が頭の中を駆け巡った。そして素直に心から思った。すごいぜPhotoshop!ありがとうAdobe!会議室兼作業場(居間)に惜しみない拍手と歓喜の声がこだまする。

このPhotomergeのおかげでスキャンははかどり、多くの絵を効率良くデータ化することができた。今のところパノラマ写真を作る予定はないが、ちょっと試してみたくなる。何よりもまず今後もスキャンに大活躍すること間違いなしだ。もうPhotomergeなしでは大きな絵のスキャンは語れない。

できあがった画像を画伯に見せるとすごーいと言っていた。なんかぼくの感動と差がある気がするが、とりあえずAdobeはすごい会社です。


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フィルムを現像しながら本を読む

03 09, 2017
朝ジョギングをすると畑に霜が降りていた。

タイのナーンで撮ったフィルムを現像する。フィルムの現像は「Paterson(パターソン)」というイギリスのメーカーのタンクを使って行っている。真っ暗な中フィルムをリールに巻いて、指定された液温と手順を守って現像を進めていく。あらかじめ用意しておいた水や現像液をタンクの中に代わる代わる入れて、決まった時間攪拌するとネガフィルムができがあがる。

フィルムの現像は業者にお願いすることもできるが、自分で行った方が低コストであることや、好みの薬品を使って現像できることからぼくは自家現像することにしている。

現像中、退屈なのは薬品を入れて攪拌している時間だ。タンクに付属したプラスチックの棒みたいな部品をつまんでタンクの中の液体を混ぜなければならない。現像で約7分(30秒おきに攪拌)。定着で5分。水洗で5分。その間にも1分くらいの工程がちょこちょこある。1分くらいならまったく問題ないが、5分以上の工程はさすがに暇だ。音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりして飽きないように工夫をするがキッチンタイマーのカウントダウンが早まることはない。

暇つぶしに最も効果的なのは読書。おもしろい本があれば5分などあっという間。英語の単語集とかの音読も時間が経つのが結構早い。

今回のフィルム現像中は「出来事と写真」(赤々舎)という本を読んでいた。写真家畠山直哉と文筆家の大竹昭子による対話集。畠山氏の深い知識と熟考に熟考を重ねた思考は読んでいてとてもおもしろい。すらすら読むというよりは、話に引き込まれてついあれこれ考えながら読んでしまう。そのせいか時間が経つのが本当に早い。

ふむふむと講義を聞くように本を読みながら液体を攪拌していると、キッチンタイマーのアラームが鳴った。反射的に本を閉じて次の工程に取り掛かろう…と思った瞬間、今自分がどの工程をやっていたのかがわからなくなった。今やっていたのは定着だったっけ?水洗だったっけ?つい本に夢中になってしまいミスをやらかすところだった。あまり熱中しすぎてしまう本というのも困りものだ。

作業を終えたネガをぶら下げて乾燥させる。なんとか今回も無事現像ができたみたいだ。通常はここで一安心しコンタクトシートを早く作りたいなーと思うのだが今回はその気持ちがなかった。

畠山本を読んだあとは、逆に自分のネガフィルムを見つめるのが微妙に辛い、という気持ちになった。自信がなくなるとか悲観的になるとかではなくて、気が緩んでいないか、考えることを続けているか、というようなことを問われている感じがしたからだと思う。「出来事と写真」は攪拌中の時間の流れを早めてくれるだけでなく、身が引き締まる思いをもたらしてくれるフィルム現像にはもってこいの一冊だった。

出来事と写真
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タイのナーン県に行ってみる

03 02, 2017
縁あってタイのナーン(NAN)県というところに行ってきた。タイの北部にある、ラオスと国境を接している場所だ。

ナーンは情報が少ない。ガイドブックを見てもわずか2ページ。ネットを調べるとぼちぼち情報は見つかったが、寺院など同じ場所の情報が多く町の雰囲気がよくわからなかった。地図やグーグルマップを見てもいまいちどんなところかイメージできない。結局そのまま出発の日が来た。

バンコクから国内線で1時間半、小さなナーン空港に降りる。整った空港内は閑散としていて離島に来たような気分。人口密度は高くない。TAXIと書かれたカウンターで声をかけると、10代とおぼしき男性が自家用車で市内の宿まで連れて行ってくれた。車のシートにはキティちゃんのカバーがかかっていた。

タイは今回が3回目。実はそんなに相性がよくない。タイ料理はおいしいけど毎日食べると胃腸が疲れてお腹が空かなくなる。バンコクの暑さと騒音も肌に合わない感じがしていた。でもナーンとは気が合った。

観光客はタイ人がほとんど。国内旅行で人気でリピーターが多いそう。外国人は少なくその中でも8割が欧米人。日本人の観光客はほとんどいないそうだ。チェンマイに溢れていた中国人の姿もなかった。

ホテルでサイズの合わない自転車を借りて市内を巡る。自転車の鍵は?聞くとナーンは安全だから要らないと言われる。高低差が少なく、自転車レーンが整備されているので移動は自転車が便利。市内地図の端から端までほとんど自転車で回れてしまう。タクシーは走っていない。

住宅地の道はきれいに掃除されている。清掃員がいるのではなく、住んでいる人たちがこまめに掃除をしている姿を見かけた。朝散歩していると様々な鳥の声とともにあたりからほうきの音が聞こえてきた。朝にはお坊さんの托鉢があるから、裸足で歩く僧侶のために道はきれいにしているのかなと思った。

2月という時期もあると思うけど日射しはあってもからりとしていて汗はあまりかかない。反対に朝晩は長袖がないと寒いくらい。早朝から路上で開かれている朝市で野菜を売っているおばちゃんたちは皆厚着している。

街を観光していると時々背後で「イープン?」「イープンよ」と会話しているのが聞こえてくる。イープンは日本のことだ。他の国に行くとたいがいチャイナかコリアかと言われるがなぜかナーンではイープンでしょと言われた。

新鮮だったのは言葉が通じないこと。外国だから当たり前だけど、かたことの英語も通じないことが多かった。ぼくも画伯はタイ語はわからない。英語が通じず、タイ語がわからず、筆談も成立しない。となるとジェスチャーと気持ちしかない。しかしそれでなんとかなった。冷たくあしらわれることもなく、お互いになんとか意思疎通をしようと試みる。その感じは久しぶりで新鮮だった。

英語の表記もあまり多くない。町には読めないタイ語ばかりが並んでいるがそれでいいと思う。ひとつの言語で表示がしていあるとすっきりして見える。意味はわからなくてときに困るけど見た目はいい。

町の人はどこか穏やかな印象だった。大きな声で話す人は少ない。タイのことをよく「微笑みの国」と言うけど、初めてそれを体感した。バンコクでもチェンマイでも感じなかったので、微笑みの国は一体どこにあるのか気になっていたがそれはナーンにあった。

値段をつりあげることもなく、キャッチセールスもない。学校帰りの子供たちは通り過ぎる時にこちらを向いて手を合わせ、あいさつをしてくる。こちらも慌てて手を合わせてあいさつする。絵を描いても写真を撮っていてもウロウロしていても特に何も言われない。普段の生活の中にいさせてくれて、そして放っておいてくれる。その中で小さな親切心というか、品のよさみたいなものが伝わって来る。

ある朝、早朝の市場を見学したあと道端の屋台で朝ごはんを食べることにした。古い折りたたみのテーブルの席で注文したものを待っていると、屋台の男性がおもむろにテーブルクロスをさっとかけてくれた。もう一つの席にはかかっていなかったので、多分遠いところから来たであろう外国人のためにおもてなしをしてくれたのだと思う。よく見るとそれはテーブルクロスではなく男性が防寒用に用意したストールだった。その心遣いに我々はすっかり心を奪われ、この旅行で一番豊かな朝食になった。

滞在しているとそうした出来事が少しずつ薄いクレープの皮のように一枚一枚積み重なっていく。そして街への好意がじわじわと濃くなっていく。数日前は情報がなくどんなところかまったくわからなかったのに、今ではすっかりまた来たい場所になってしまった。ナーンのよさはじわじわと時間をかけて浸透して来る種類のものだ。

前にとある居心地のよい喫茶店のオーナーに、居心地のよさはどこから来ているのかを訪ねたことがある。その人は店を作る時はまず店の人の働きやすさを50%、そしてお客さんの居心地のよさを50%で考えていると話していた。ナーンもそんな印象。住みやすいから観光もしやすい。バランスがいい。

いわゆる世界遺産のような有名な観光地はないけど(もちろん見所はあるし見応えもある)、だからその分こうしましょう、ここを見ましょうということがない。余白があるので自由に楽しむことができる。過度にわかりやすくしたり親切にしたりしないで、楽しみ方をある程度こちらに委ねてくる。そんな町にぼくは愛着を覚えるのかもしれない。
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泉大悟 (Daigo IZUMI)

Author:泉大悟 (Daigo IZUMI)
モノクロ写真が好きです。

「恍然大悟(コウゼンタイゴ)」は中国の成語で「ハッと悟る」という意味。

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http://www.dizumi.com/

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