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機械のように撮る

ここひと月近く快晴の日を過ごしていないような。

高校生の頃、夏休みに一度弁当を作る工場でアルバイトしたことがある。夜勤の方が時給がよかったから深夜を希望した。そこで担当したのは、ベルトコンベアで流れてくるポテトサラダを必要な数だけ取って配送先の箱に移すという作業。自分も機械のようになって、頭の中で歌を歌いながら仕分けをした。あのときの部屋の時計は、今まで見た時計の中で最も針の進みが遅いものだった。途切れる事なく延々と流れてくるポテトサラダと向き合って過ごした機械的な一晩は忘れられない。

カメラマンF氏からの誘いで、とある企業のイベントの撮影に行ってきた。三日にわたるイベントで、規模が大きいためチームを組んで撮影する。企業向けのイベントなので、毎朝スーツを着て出かけた。同じ時間に同じ電車の同じ車両に乗って通勤するのは会社員のとき以来だ。

会場に着くとネクタイを締めて身支度をする。首からスタッフのパスをかけ、左腕には「記録」の腕章をつける。カメラは二台準備する。片方には標準ズーム、もう片方には望遠ズーム。数百人規模の人が入る会場なので望遠ズームと脚立は欠かせない。

カメラ二台をぶら下げて、脚立片手に会場を歩く。セミナーが複数の部屋に別れて行われているので、撮影する場所を分担する。タイムスケジュールに合わせて会場内を回り、しらみつぶしに撮影をしていく。

朝から晩までカメラをぶら下げていると、けっこう疲れる。数キロの重りを持って一日過ごすと肩周りや足腰に疲れがくる。脚立の昇り降りも地味に体力を奪っていく。踏台昇降を一日かけてゆっくり何度も行っているかのようだ。

写真はカメラという機械が撮ってくれる。しかしカメラにすべておまかせ、というわけにはいかない。当たり前だけど操作する人が必要で、人間が撮る場所に持って行ってあげないと写真は撮ることができない。

数分刻みで各部屋に入り、必要な写真を撮るための場所に移動し、写真を撮る。それを繰り返す。そこにあまり感情は求められない。だから自分も機械のようになる。ポテトサラダと同じだ。カメラをその場所に運んで最善の操作をしてシャッターボタンを押すという機械。脚立を昇り降りする機械。荷物の重さ?疲労?感じませんよ機械ですから。と自らに言い聞かせる。

最終日、イベントが無事終了したときはそれなりに疲れがたまっていた。やれやれと重くなったカメラをテーブルに置いてネクタイをとる。カメラのホットシューからクリップオンストロボを外す。腕の腕章も取り外す。身につけていたものをひとつずつテーブルの上に置いていくと、機械のように固まっていた気持ちもほぐれはじめ、じわじわと達成感のような感覚が涌き上ってきた。ふとこの仕事ができてよかったなーと思う。

会場を出ると涼しかった。駅に向かって歩いたときの感覚は、ポテトサラダの夜勤が終わり、工場を出たときの夏の朝の感覚にどこか似ていた。

プロフィール

Author:Daigo IZUMI /泉大悟
Photographer.

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