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濡れたネガを見つめる

久しぶりに晴れ間がのぞいた。蝉の声は遠くなった。

フィルムを数本現像する。現像したネガをお風呂場に吊るして乾燥させる。35mmフィルム一本分の長さは1.5mくらいある。結構背が高い。

現像したてのネガはつい見たくなる。ぶらーんとぶら下がったネガに顔を近づけて小さなコマを見つめる。画像は白黒反転しているだけでなく、見る向きによって裏表や天地も逆転しているから、まったく見たことのないものが写っているように見える。

うーんこれは何だろうと思いながらネガを見つめ、撮った場所や時間を考える。ぱっと見ていつ撮った写真かわかるときもあれば、いくら見てもわからないときもある。

「ベタ焼き」という一本分のネガを一枚の印画紙にプリントしたインデックスプリントみたいなものを作らないと、どのコマがいいのかよくわからない。わからないから見ても仕方ないのだけど、現像したての濡れたネガはつい見たくなる力がある。挽きたてのコーヒー豆の袋には鼻をつっこみたくなるのといっしょ。

世の中にはネガを見ればプリントすべきものがわかる、という人もいる。「ネガを見れば大体わかるよね」なんて気のきいた台詞をぼくも言ってみたいと思い、何度か挑戦してみたが結果はいまいちというか散々だったので早々に諦めた。作業の効率がひどく落ちるのなら素直にベタを作って選んだほうがいい。

で、濡れたネガを見つめる度に毎度思うことがある。それは「なんかいまいちだなぁ…」

本当は「これはいち早くプリントしたい」と思うようなネガが出てくれば理想的なのだが、そういう物はどうも我が家には多く届かないようになっているらしい。このコマとあのコマをプリントして…という捕らぬ狸の皮算用はなかなかさせてもらえない。狸がいない。

それでも濡れたネガを見てしまうのは、まあ今度こそ狸がいるかもしれないと思う気持ちがどこかにあるからだろう。いればラッキー、いなければいつもどおり。誰も傷つかない。

同時にいまいちだなぁ、という気持ちのままベタを作ると、思いがけず「お?意外といけるのか?」というささやかな喜びが生まれることがある。あらかじめ気持ちを低い所に落としておけば空振りしてしまってもまあそんなもんだろうと思う事ができる。

過去に「狸発見、しかも4匹」と喜び有頂天でベタを作ったら狸の置物だった、なんてことがあった。そんなことを何度か経験するうちにぬか喜び防止機能が強化され、自然とネガティブな心でネガを見ることができるようになった。これが成長というものだろうか。

今日現像したネガ?もちろんいまいちだ。

プロフィール

Author:Daigo IZUMI /泉大悟
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