記事一覧

あいまいさの中に身を置く

冬服やカーペットを片付ける。暑くもなく寒くもない、過ごしやすい気候。

部屋の片付けをしながら日曜美術館をなんとなく見ていた。ふと聞こえてきた解説が耳に留まった。話していたのはロボット工学者の石黒浩教授。16世紀のイタリアの画家、ティツィアーノが描いた肖像画の眼について解説をしていた。

「はっきりした感情ではなく、中途半端でニュートラルな感情を眼で表現している。見る人が戸惑い、いろいろ想像する。それが人を立体的に表現する手法になっている」

「静止画を動かすには、あいまいな表現を随所に入れる。揺れる解釈の中にずっといると、動いているように見えるから」

人間の姿に極めてよく似たアンドロイドを製作している石黒氏ならではの視点はとても興味深く、また解説も理路整然としていてわかりやすかった。ティツィアーノより石黒氏に興味が湧いてしまいそうだ。

思えば自分が好む作品というのはこの「ニュートラル」「あいまい」という仕掛けが施されたものが多いのかもしれない。

先日銀座に行ったとき、資生堂ギャラリーで内藤礼の「カラービギニング」という作品を見た。白いキャンバスにかすかなアクリル絵の具で彩色が施されていて、ぱっと見ても周囲の白い壁とほぼ同じ色に見えるような作品。でもその絵の前に座ってしばらく眺めていると、かすかな色が認識できるようになってじわりじわりと色が見え始める。その見ている間は、描かれたものを意識的に見ようとしているというよりは、何か別のことを考えているような気がした。「ニュートラル」で「あいまいな表現」はそういう体験を与えてくれるように思う。

ある状況を説明したり、こういうことが起きていますよ、ということを上手に説明している作品は「そんなことが…!」という驚きや自分の知らなかった出来事を知る楽しさはあるけど、驚きや情報が強すぎると自分であれこれ考えることができなくなる。そして「ああすごかった」「強烈だったぜ」という感想で終わってしまう。

喜びや悲しみといった感情は自分には強すぎる。平常時の静けさやあいまいさの中に身を置くことは自分にとって大切なことだ。即効性はなくとも、あとからじわじわ効いてくるようなものに近頃特に惹かれている。

プロフィール

Author:Daigo IZUMI /泉大悟
Photographer.

Website
http://www.dizumi.com/
Instagram
izumi_daigo/

ブログ内検索

月別アーカイブ