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消える暗室

W氏の暗室がビルの建て替えに伴いなくなる。最後にお別れの会が催されたのでお邪魔してきた。

暗室は江古田駅近くにあった。アシスタントが終わってから、江古田に来る機会はめっきり減った。池袋から西武線に乗って江古田駅へ向かう。停車中の電車に乗りしばらく待っていると発車ベルの音が鳴った。懐かしい音だ。アシスタントの頃を思い出す音。楽しく、刺激的で、また悩ましくちょっと苦しくもある期間を思い出す音だ。事務所と暗室がなくなったらもう江古田には来る機会はほとんどないだろう。もしかしたらこれで最後かもしれない。車内でそんなことを思った。

暗室にはワークショップの記念写真が盛大に貼られていた。目張りされて真っ暗だった暗室も今では窓から光が入ってきている。あの暗室の、薬品が混じり合ったような独特の匂いもすっかりなくなっていて、普通の古いビルの一室になっていた。意識的に想像しなければ、ここが暗室だったとは思えない。

最後なので様変わりした元暗室の中で、意識的に在りし日のことを思い出してることにした。頭の中にある記憶を探ろうとするとき、視界は横位置から縦位置になる感じがする。赤いセーフライトの下、授業を受けたり、W氏のプリントを手伝ったときのことが頭に浮かぶ。その中でも鮮明に残っている瞬間がある。

それは一枚の写真がCP-31という自動現像機からゆっくりと出てくる瞬間だ。それは工場で撮影した、白いサドルの写った写真が現像機から出てくるところだ。インクジェットプリンターからコピー用紙がゆっくりと印刷されて出てくるように、印画紙もゆっくりと機械の中から姿を現わす。そして印画紙全体出てきたその瞬間をぼくは鮮明に覚えている。

なぜかというと、何かが始まったような感じがしたからだ。よくわからないけどこの一枚ができた時に初めて一枚の写真が作れたような気がした。同時に頭の中に小さい灯火というか、真っ暗な空間の遥か先に小さな灯台のような明かりがぽっとついたような気がした。

ちょっと抽象的な話なのだが、以来ぼくはその灯台の明かりを目指して真っ暗な中を進んでいるような感覚がある。そしてあそこに行けば何かいいものができるはず、という謎めいた確信もある。

目を閉じるとその明かりは遥か遠くでチラチラと瞬き、揺らめいている。あれから8年ほどが経って、その間一歩一歩前に進んでいるつもりなのだが、明かりとの距離は一向に縮まらない。逃げ水のように、一歩進むと一歩遠ざかっていく。むしろ遠くなっているような気すらする。しかしその明かりが原動力になっているようにも思う。気を抜くなかれ、という戒めにもなっているとも思う。

そんな経験をした空間がもうすぐなくなる。東京からひとつ、暗室が消えようとしている。ぼくはもうここに来ることはない。残念だが仕方がない。最後に何か挨拶を、とも思ったがいつもどおりそれではまた、とW氏に伝えて階段を降りて帰った。

プロフィール

Author:Daigo IZUMI /泉大悟
Photographer. 
モノクローム写真が好きです。

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