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いざというときのための重さ

テレビにYoutubeの焚き火の映像を映す。ぼーっと眺めていられる。

3ヶ月ほど髪を切っていなかったので、そろそろ一度手入れをしてもらおうと久しぶりに都内に出かけた。自粛が続き、撮影の仕事はだいたい消えて無くなったので、この春は電車に乗る機会があまりなかった。

イタリアの画材屋さんで買ったトートバッグに荷物を入れて出かける。ぼくのバッグはちょっと重い。フィルムの入った一眼レフカメラが入っているからだ。

これがなければ荷物がだいぶ軽くなるだろうなぁ...とよく思う。もっと小ぶりの鞄をもって出かけることもできるし、うまくいけば手ぶらに近い格好でふらりと出かけることもできるかもしれない。

ジャケットやコートのポケットにスマートフォンと財布、それに本を一冊くらいもって出かける。いいな、ちょっと憧れる。

でも心配性なのか貧乏性なのか、とりあえずカメラを持っておかないとどこか不安な気持ちになる。写真撮りたいと思うものが現れたらどうしよう、と考えると持たずにはいられないのだ。

ここで写真を撮りたい、というときは突然やってくる。行き先によって、天気によって、時間帯によって、気分によって、思いがけないものが突然目の前に現れる。だから「いざ」というときに備えてとりあえずバッグの中にはカメラを入れておかねば、となる。

だがあいにくその「いざ」は、そう簡単にやってこない。

どこかに出かけるときは何かの用事で出かけることがほとんど。何時にどこに行ってあれをしてこれをして...とやっていると、風景に目がいかない。すべきことで頭の中が支配されているわけで、風景に目がいかないのだろう。ゆったりと目的もなく時間を過ごしているときに撮りたいものが見つかる気がする。

いざというときはなかなかこないけど、カメラ持っていくのやめようかなとはならない。

バッグの重さはいざというときのための重さ。安心感を得るための重さであり代償だ。打ち合わせにいくときも、髪を切りにいくときも、映画館に行くときも、ちょっと重いバッグを担いででかけていく。出番があまりなくてカメラには悪いけど、いざというときのためについてきてもらう。

街を歩いている人たちもみな、カバンやポケットのなかにそれぞれのいざに備えた何かを持っているのだろうか。電車の中でマスク姿の人たちの荷物を眺めながら考えた。





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Author: 泉 大悟 / Daigo IZUMI
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