恍然大悟

カメラの部品になる

Posted by 泉大悟/Daigo IZUMI on  

まだまだ暑い。

写真は光を記録する。ある日、ある時の光の状態を記録する。その記録をするのに使う道具がカメラ。

写真を撮る時、私はカメラより地位が低い。身分はカメラが上。私はカメラの仕事を手伝う部品の一部という感じがある。写真はカメラが撮るものだから、カメラがえらい。呼び捨てしないでカメラさんとかカメラ様と呼ぶ方べきか。

デジタルカメラを使う時はその思いが特に強い。デジカメはテクノロジーの塊だ。いつも驚くのが、撮影した写真をパソコンで拡大していくと、そこには四角いドットが見えてくること。微細なドットの集合体で写真ができていることにはいつも驚いてしまう。スーラの絵みたい。

写真を撮る人と話していると、身を挺してカメラを危機から守ったエピソードを聞くことがある。引ったくりから怪我を負いながらも守った、自分が水没したときになんとかカメラだけは水面に持ち上げていた、などなど。みな我が身を盾としてカメラを守っている。優秀なボディーガードのように。

ある広告カメラマンは言った。「カメラがなくなったら、ただの役立たずのおじさんだからね」。その一言が記憶に残って離れない。私がカメラの部品の一部になる感覚はどうも見当はずれではなさそうだ。

ちなみに仕事中は「カメラマンさん」と呼ばれることがある。恐れ多くもカメラと私が一体化した名前、カメラマンさん。身に余る呼称である。



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